ジュエリー今昔物語
時代が昭和になると、満州事変の直後には経済が戦時の体制へと移行します。
この措置によって、宝石に輸入制限がかけられると山梨の水晶原石の確保にも大きな影響が出てきました。
装飾具としての水晶加工が難しくなる一方で、発振子、光学レンズなどの軍事需要が急激に伸び、産地全体で軍需産業への強制的な転換が図られました。
この戦時中の企業整備の強行により、軍需工場が広がったため、研磨技術自体が衰えることはなかったといえるでしょう。
その後、焦土の中で再建してきた水晶工芸こそ、現代の基盤です。
戦後、水晶宝飾は、デザインの進歩も相まって目覚ましい発展を遂げます。
特に研磨加工と一体となり発展してきたことは特徴的で、従来の主要製品であった首飾りや水晶ビーズの需要は減ったものの、水晶の産地であったことから水晶研磨加工をルーツに発展し、宝石研磨金属加工の職人、アトリエが多く集まる「ジュエリーの街」となりました。
現在、山梨県のジュエリー産業は新興研磨産地との競合や後継者不足など「産地」として一つの転換期にあります。
伝統産業の維持・発展のために、産地の歩みを知っておくことも忘れないでください。