ジュエリー今昔物語
明治末期から大正初期にかけて、全国的に原石不足におち入ります。
そのとき、甲州水晶工芸の危機を救ったのは、ブラジルからの輸入水晶でした。
ブラジル水晶との出会いは、両国の商人がニューヨークの宝石商から送られてきたという水晶のサンプルを水晶業者に紹介したことだそう。
水晶原石が底をついていた頃でしたので、水晶業者はもちろん欲しがり、大量の取引を申し出て、水晶の輸入ははじまっていきました。
このとき初めて知る海外の原石へのあらゆる不安を捨て、リスクを背負ってお金を投資し、海外の水晶の輸入を決めた各業者の勇気ある決断があってこそ、甲州水晶は今に続いているといえるでしょう。
同じ頃に、水晶加工と結びつくような形で貴金属工芸の存在感も大きくなります。
特に第一次世界大戦によって軍需品が外国に市場を得ると、国内は好景気になります。
その波に乗るようにして水晶工芸品をより華やかに仕立てる素材として金が好まれるようになり、金そのものを主体とした装飾具もよく売れるようになっていました。
このように時代のニーズにそうようにして「貴金属工芸」の基礎はつくられ、手作業から機械化へと移り変わる中で貴金属加工も量産へ移り変わってゆきます。
当時は、「金ぶち眼鏡」「金指輪」「時計の金ぐさり」などが多く求められていたそうです。