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ジュエリー今昔物語

水晶加工は手作業から機械へ

明治後期になると山梨県産の原石は枯渇してしまいますが、一方で加工法はどんどん進化をしていきました。

特に明治末期から大正初期にかけて、次第に加工が機械化され、研磨も手磨りから円盤磨りへと飛躍的に発展しました。

特に大きな貢献となったのが、彫刻界の第一人者であった土屋華章氏がつくりあげた「足踏み式コマ磨法」です。

コマ磨法とは、旋盤のように太い紡錘状の鉄棒の軸を水平にして、その先端にコマという鋼鉄製の板を固定し、研磨剤をつけて回転させ、水晶を切ったり磨いたり、線を入れたりなど加工する技法です。

土屋氏が考案した「足踏み式コマ磨法」

ただ、足踏みは相当な重労働。
作業による疲労度が大きいことが問題となっていました。それを解消したのが、電動機の導入でした。


動力が機械化されたことで、作業負担は大きく軽減されました。
これによって水晶彫刻の荒磨り作業はぐっと能率的に行えるようになりました。

もっと良い方法はないかと考える土屋氏

一方、仕上げるためには依然として手作業も必要でした。
土屋氏はこの改善についても苦心を重ね、歯ブラシに磨き粉をつけて彫刻品を磨くなどの方法を取り入れます。

これによって、細かい部分のツヤ出しにも成功するなど、土屋氏のアイデアは彫刻研磨にいくつかの新しい方法をもたらしました。